よくあるご質問

保護者様からよくいただくお問い合わせの中でよくある質問をご回答させていただいております。 「よくある質問」にないご質問につきましてはお問い合わせフォームからお問い合わせください。

「日課」活動について詳しく教えてください。

園生活の中で、朝の体育ローテーションに始まって、文字通り毎日欠かすことなく、最も力を入れて取り組んでいるのが日課の活動です。

なぜかといえば、ひとことにいって、子どもたちがこの活動を最も好むからです。体育ローテーションや発声、歌唱については次回以降にゆずるとして、いまお母さま方が最も奇異に感じておられる部屋の中での日課の言語活動について述べてみましょう。

おたずねの通り、フラッシュカードや暗誦、音読、素読と、レパートリーが広く、いずれも「リズムとテンポとくりかえし」です。

そして、その活動のすべてが、明るく、楽しく「まるで鉄砲玉を撃つように」テンポよく進められています。この活動の魅力は、先生と子どもたちとの相互交換作用による「ことば」のキャッチボールを楽しむことであり、子どもたちにとっては最高に楽しい遊びなのです。

なぜ取り組んでいるのか?幼児たちの胎生的本能ともいうべき知的好奇心に適合しているからです。だからこそ、あれほど楽しげに大声を張り上げ、熱中して取り組んでくれるのです。 なんのために?この活動には、いま育ちざかりの子どもたちの脳の言語中枢を刺激し、知的感覚回路を強化、活性化するというはたらきがあります。

つまり、「ことば」に対する反応の速い、いわゆる「かしこいあたま」が育つということです。

ここで気掛かりなのは、ご質問の「読ませたり」「覚えさせたり」「暗誦させたり」という受け取り方です。日課の活動のどれひとつをとっても「・・・・させる」という意図は全くありません。子どもたち自らが喜んで主体的に参加している活動であって、すべて言語文化の刺激です。

ましてや、ことばや文字を教えよう、覚えさせようという構えは毛頭ありません。もしそのような構えがあったならば、子どもたちのあの豊かな表情や声、いきおいをつぶしてしまいます。

この活動はまた、みんないっしょに大きな声を張り上げることによって集中力や行動力、記憶力や想像力などの心身の発達にもつながります。先生と子ども同士の信頼感や仲間意識をも高めます。いわば脳の発達期における全人形成のための、きわめて有効な活動であるとご承知ください。

一日わずか20分、30分の熱中、日課活動があればこそ、園生活のリズムが快適に展開され、豊かな成長発達を引き出すことができるのです。

「体育ローテーション」が行われていますが、うちの子は体育が苦手です。

お部屋の中での「日課活動」と同様に、毎日欠かさず実施されているのが「体育ローテーション」です。

いろんな器具を配列して(時には器具なしの身体運動もありますが)、さまざまな運動を体験しながら、列をなして回るという活動です。

これもまた幼児の発達のためには、たいへん重要な意義をもっています。

なぜかといいますと、いまが育ちざかりの子どもたちは、自らの育ちのために「動く」ということを必要として求め続けている、その胎生的躍動感に適合する教育的活動であるからです。もちろん自由遊びも、その目的を充分果たしてはいますが、それもまた充分自由遊びに興ずる子どもに限られるということです。

秩序なき自由は放任とかわりありません。腕っ節のいい子が、わがもの顔に振る舞いますと、けんかや粗暴が始まります。おとなしい子は恐れをなして群れ遊びに興ずることができません。群れ遊びにも、それなりのルール(秩序)がなければなりませんし、第一、そのような時間と空間が与えられましたならば、喜んで仲間との遊びに熱中できるだけの資質が育ってないことには、ほんとうの「自由遊び」が活かされません。

わが園の体育ローテーションは、どの子もみんな共通してもっている運動本能を充足し、かつ集団活動を通して仲間との連帯感を楽しみながら群れ遊びの基礎的なルールを体験し、もって一人ひとりの運動感覚の発達を引き出すというきわめて多義的な目的をもつ有効な教育活動です。

さらに、全身的な運動機能の円満な発達を願うならば、運動種目もまた、ある種の技量に偏ってはなりません。ローテーションはいうまでもなく多種の器具を配列し、多岐にわたる運動を体験しながら、心身ともにたくましい人間形成の基礎、基本を固めていきます。

そこでご質問ですが、まずお子さまの体育嫌いについてです。幼児は胎生的に動くことが大好きです。もしそうでないとすれば問題です。「幼児は歩く歩数に比例して育つ」からです。

「体育」段階の前に、歩くことをしっかり体験して脳の運動感覚回路を刺激し、活性化させていただかねばなりません。体育嫌いの子が「自由遊び」を喜ぶとは思えません。

ただ「体育」という構えで活動を押しつけることに子どもは反発します。ローテーションは遊びです。決して強制されるものではありません。

毎日のくりかえしの積み重ねで、子どもたちはみんな喜んで参加してくれるようになります。

必ず、きっと、保証します。体育嫌いを体育好きにする、最も適切な活動です。ローテーションは、ほんとうに「自由遊び」が楽しめる資質が育つ、人間形成の基礎活動です。

園での音楽活動にはどのような狙いがあるのでしょうか。

幼児は胎生的に連帯本能、つまり周りの人とうまくかかわっていきたいという本性的な願望をもっています。

3歳ともなれば同年齢の子どもたちと仲良くいっしょに遊びたい、つまりこころの交流を求めているのです。ところが実際は、そういう術を知らないから、実はコミュニケーションを求めていながら、つい手が出る、口が出るで、それがけんかに発展することもしばしばです。

周りの人とうまくかかわっていくためには、集団活動の場において、共感、共鳴、共体験の喜びを積み重ねていくことが必要です。それも、仲間のみんなが共通の興味や関心の向く集団活動をです。

音楽は人間の感情の源泉であり、古くは原始の時代から、集団のこころの交流の縁として、仲間の連帯感の高揚に、大きな役割を果たしてきました。

古くは軍歌、労働歌、またキャンプソングや応援歌、賛美歌、仏讃歌などなどです。これらの「うた」は、ともすれば沈みがちな若者たちを奮い立たせ、悲しみを静め、喜びを讃え、協調の和を固めるという、つまり、生命の躍動感を引き出す絶妙なる魅力をもつものです。まさに音楽性こそ、人間の人間であるべき姿、人間性の幅であり、深みであるといいたいのです。

そこでわが園が音楽、とくに歌唱活動に力を入れているのは、決して「うた」が上手になることを目的としているのではなくて、多様な音楽経験を通して、音楽に親しみ、こころの幅の広い、豊かな人間性の啓発につなげてほしいとの願いがあるからです。

さて、友だちと心の交流は、共感・共鳴・共体験の積み重ねであるといいましたが、まさに日課活動、とりわけ「うた」がその役割を果たすのです。ありがたいことに、子どもたちは、どの子もみんな本性的に「うた」が好きなのです。

音楽鑑賞に始まって、発声練習から歌唱へと、段階をふんで、音楽環境から経験へと活動の場を展開していくならば、どの子もみんな100%音楽大好きな子に育ちます。好きこそ物の上手なれ、いつの間にかすばらしい合唱が楽しめるまでに育ちます。

「うた」は感情の表現です。いま生命的躍動感に充ち満ちている子どもたちには、それに見合うリズムとテンポを好むのです。歌詞の難易はともかく、元気なうたがみんなの情感にフィットするのです。いろんなうたを歌い続けているうちに、いわずもがな豊かな感性と歌唱力が育ちます。

音楽が楽しめる子は、からだもあたまも闊達にはたらきます。

知・情・体 三位一体の成長を願うわが園の全人教育には、言語、運動とともに音楽が重要な柱となっていることをご理解いただけたでしょうか。

プリント教材というのは、どのような意味があるのでしょうか。

わが園のプリント教材は、幼児の発達段階に見合った内容を検討し、編集されたオリジナルの教材であるということをご承知おきください。

ですから、おたずねのように、子どもの能力をテストするというような意図は全くないどころか、幼児にとっては、彼らの知的好奇心を充たしてくれる大好きな遊びなのです。

わが園では、日ごろ日課の活動などを通して、たくさんの感覚刺激を受けながら、脳神経の感覚回路の強化、活性化につなげていくという独自の教育方法をとっていますが、ここで獲得した基礎能力は、彼らの知的好奇心をいやがうえにも高めていきます。いわゆる学習意欲です。

例えば日課のフラッシュカードなどでことばやもじについて、興味、関心が高まり、言語や文字に対する感覚が養われていきますと、文字言語活動、つまりもじの読み、書きにも新鮮な学習意欲をもつようになります。

いままでの経験では、漠然と読めていたもじを、そのもじを使って遊ぶという、高いレベルの遊びの経験を通して、一人ひとりの幼児が正確に自分の知識として活用することができるという感動をおぼえます。カード遊びやプリント教材がそれにあたります。

私たちは日課の活動が、脳回線の機能化を目的とするのに対して、このような課題に取り組む活動のねらいを、脳回線の実用化といっています。

もちろん、発達段階を踏まえての遊びの内容になっていますから、少し努力すれば、どの子にもできる、つまり満点マルがもらえるという達成感が楽しめます。「少し努力」の中で、思考力や想像力、推理力、表現力などを高めるねらいもあります。

プリント教材は「ことば」「かず」「ちえ」の3種類あり、迷路やしりとりなど、子どもたちが楽しく取り組めるものを、日課活動にひきつづいて行います。したがってプリントは、子どもにとっては日課の活動そのものであり、たいへん意欲的にこの活動に取り組んでくれています。

決してプリントでなにかを指導しようという保育者の構えからの発想ではなくて「お腹がすいたからご飯を食べる」のと、同じ感覚で、プリント教材は彼らの学習意欲が求めるあたまの栄養なのです。そうです、ねらいは彼らの学習意欲の高揚です。学ぶ楽しさの体験です。目と手の協応作業です。いよいよあたまのよい子が育ちます。

将来、はや年長組ともなれば読書や作文が楽しめるようになるという一連の知的創造教育なのです。

また保育者の側からすれば一人ひとりの幼児の発達、興味や関心を確かめることができる格好のコミュニケーションの機会でもあるわけです。

プリント教材のもつ意味はたいへん奥深いことが、おわかりいただけたでしょうか。

園児が裸や裸足で生活しているのをよく見かけますが、どのような意図があるのでしょうか。

園児たちのはだか生活は、皮膚を鍛えるということによる身体上の健康と、幼児自身の内なる活力を引き出すという精神上の健康の2面に、大きな効果がもたらされるのです。

つまり、はだかの生活で、たくましい心身が育ちます。活動が活発になり、食欲も旺盛になり、夜もよく眠ります。健康です。

皮膚を鍛えるということについてですが、皮膚も呼吸をしています。裸身の皮膚の気孔(毛穴)から、天地自然の恵み、太陽と空気wふんだんに吸収します。直接の自然にふれて、皮膚が強くなり、骨格も神経も強くなります。

皮膚が鍛えられると、自然にエネルギーの調整能力が高まり、放出エネルギーを製造するのだといわれています。だから肌寒い時でも、寒いと感じる前に必要なエネルギーが補充されるので、幼児たちは、存外平気なのです。またこのエネルギー調整能力は、夏の暑い時にも発揮されて、無駄な発汗作用を防止するはたらきをします。冬の寒さにも夏の暑さにも抵抗力の強いたくましい子に育つのです。

次にはだしのことです。足の裏には内臓を始め、全身につながる自律神経が集中しています。足裏の感覚刺激が脳神経に伝わり、全生命力の活性化、精神的躍動感を引き出します。「老化は足から」といわれますが、運動不足の近ごろの子は、偏平足が多く、生体機能の発達がアンバランスなため、はや小学校時代から身体の老化現象が始まっているともいわれています。

はだかとはだし。その肌で「自然」と直に接触し、自然の恵みをふんだんに吸収していく。そういうすばらしい生活体験の中から、本来「自然」であるべき幼児たちの「内なる力」、つまり発達原理にかなう「内なる自然」を引き出すことができるのです。

元来、自然であるべき幼児たちは本性的にはだか、はだしの生活を喜ぶものです。はだかとはだしで、なおかつよい教育環境や経験に恵まれるならば、まちがいなく心身ともにたくましい子が育つのです。

もちろん、園児たちを叱咤激励して、無理やりはだか、はだしを強行するという、いわゆるスパルタ式など、とんでもありません。夏の暑いうちに、それも最近のオゾン層破壊による太陽紫外光線の光害にも配慮して、徐々に徐々に習慣づけていきます。とくに冬場は園児の意志にまかせて奨励していきます。はだか、はだしはともかく、せめて幼児はすべからく薄着で育てたいものです。大人の着衣より常にマイナス1枚をこころがけましょう。それが本来の子どもの姿です。自然の姿です。

厚着は親の過保護の象徴です。ほんとうは厚着で行動を制限されている幼児のことをこそ「かわいそう」というのでありましょう。

行事が多いので、園児も先生も大変なのではと思いますが、いかがでしょうか。

そもそも、いろいろな行事はそれが園児たちにとって「楽しく」あらねばなりませんし、かつその体験が園児たちの成長発達につながる「ためになる」ものであらねばなりません。

俗に行事保育といわれる、まず始めに「行事ありき」という「保育者主導型」の押しつけ教育は論外です。行事のための毎日の過酷な猛練習は、園児たちはもとより保育者にとっても、楽しくなければ、ためにならないし、行事が終わったあとの虚脱感はぬぐいきれないものがありましょう。

ならばやめればよい。そうです、そのような空しい結果に陥るのであれば、やらないがましでしょう。

いっとき公立の小学校で林間学校や臨海学舎をとりやめようという運動がありました。理由は簡単です。事故がこわい。保障がたいへん、秩序なき集団合宿の統率管理に自信がない。「君子危うきに近寄らず」の逃げです。

このほどさように、世の中万事、危うきに近寄らず式の事勿れ主義で放擲された子どもたちは、あのきらめくばかりの生命的な躍動感をみごとに打ちつぶされ、挙げ句の果て、無為徒労の粗暴反抗に追い込まれていくのです。

そうです。その生命力をいかに日々の園生活の中で、幼児たちの発達のために必要な活動に結びつけていくかが、われわれ幼児教育に携わるものの最大の課題なのです。

かのごとく、幼児たちの生命的欲求に対応する園生活環境が充たされるならば、幼児らの情緒は安定し、活動に熱中し、目を見張るばかりの大きな発達を獲ち得ます。この獲ち得た力を、なんらかの形で楽しい表現活動に向けて燃焼していくことは、幼児たちにとっては至上の喜びであるわけです。

結論はこうです。行事とは、園児たちが園生活体験を通して、獲ち得た力をもって、一人ひとりの自己実現の場として計画されるべきもので、これは「園児主導型」であり、まさに幼児の発達のリズムを教育主張とするわが園教育のいわゆる「花」の部分にたとえられる重要な活動であるというわけです。

したがって、行事が終わったあとの達成感、成就感もひとしおさわやかで、これがまた結局ひとりの園児の自覚や自信を高め、次なる活動への大いなる活力にもつながっていくのです。

始めに「日々の営みありき」です。かくして獲ち得た力を、表現活動をもって自己実現に結びつけていく。楽しくもあり、ためにもなる行事活動の意義は非常に深いものがあります。

Menu